「学校に行けないのは、生徒のせいとは限らない。」
共栄通信のHistory
2003年に開設された、共栄学園の通信制課程。
そこにいたるまでには、教育現場で生徒、保護者とともに悩み、
新しい教育のあり方を模索する、教職員の姿がありました。
平成の時代に入ってから、学校現場では「不登校」と呼ばれる生徒が多く現れるようになり、学校に行けなくなる生徒が問題になってきました。中高一貫校である京都共栄学園においても、その傾向は現れ、教員は何とか教室に来させようと努力していました。当時は教室に戻すことが、「解決」と考え、不登校や不適応は「治す」ものだと考えていました。
しかし、それらの生徒、保護者に対して「とにかく、学校に来てください。」という指導を続ける間に、「これは何か違うのではないか?」と違和感を覚えるようになりました。「学校に行けないのは、本人や家庭のせいではないのではないか?」「学校という制度や環境そのものに原因があるのではないか?」と考えるようになりました。
そもそも明治の制度である「学校」というシステムは、これまで130年以上基本的には変わらない、集団教育です。6・3・3の12年間、40名の教室に、じっと座ることが「普通」であり、それに合わせられない生徒は「普通ではない。」となり、留年や進路変更を余儀なくされ、必ず不利益を受けることになります。
もちろん、学校という制度には様々なメリットもあり、「普通の」学校に行ける生徒は行った方が良いのですが、行けないことで不利益を受ける必要はないのではないかと思うようになりました。
当時いち早くインターネットを導入していた本校では、ある教員がバーチャルのホームルームを作り、全国の不登校生徒との交流や学習指導をボランティアで行い始めたところ、200名以上の中高生が登録して、交流し始めました。どの生徒も、とてもまじめで真剣に悩み、将来を考えていました。「こういう生徒が不利益を受けないような方法があっても良いのでは?」と考え、「通信制」という制度に着目したのがはじまりです。
当時の通信制は本来の中卒就労生のための制度というよりは、全日制高校からドロップアウトした生徒の受け皿として、「簡単に卒業できる。」ことで人気となり、都心で教室を開き、多くの生徒を集める私立通信制高校が登場し、注目された時代です。
そんな時代に中高一貫校が通信制を置きたいと言っても、なかなか理解されませんでした。「共栄がやりたいのは、全日制に行けない生徒も、同級生と同じタイミングで卒業・進学できて、しっかり学力もつける、バイパスとしての通信制高校です。」という説明を続け、当時の理事長が文部科学省に直接相談に行って、ようやく開設したのが2003年のことです。
そして近年は、「全日制には行かないことを決断した生徒のために、全日制とは異なる学びの場・居場所を提供する。」という、本校の考えは、もう一つの共栄学園として現在では広く理解されるようになり、理念に共感した仲間が、集まるようになりました。